「遅いぞ、カタギリ」

「よ、ビリー、先にやらせてもらってるぜ」

部屋に入った途端、そのあまりにも見慣れない光景にカタギリは絶句した。

左右に視線をやる。
間違いなく自宅であることを確かめるために。
正面に目を向ける。
そこで起こっていることが現実なのかを見極めるために。

そして、どうやら今見ている光景が現実のものだと知ると、心の中で大きなため息をついた。

「おい…君たち…」

「あ、氷がねぇな」

「私が用意しよう」

「悪いな、エーカーさんよ」

「はは、気にするな。ニール君は客人なのだから」

こちらの言葉を遮ったまま、男は笑顔で冷凍庫を物色し始めた。
どうやら氷と一緒につまみも探すつもりらしい。
身体を半分ほど冷蔵庫に突っ込んで、中の食材をしきりに検分している。

単身者としては持て余すほどに広いリビングルームには、大きなローテーブルとそれを挟んだ形でソファが置かれている。
二人がけのソファの向こう、窓を背にして、見慣れた翡翠の瞳がじっとこちらを見上げていた。

「いつまでそこに立ってんの?座んなよ。自分の家なんだから。ほら」

こちらが口を開く前に促されて、ビリーはやれやれと首を振る。
ビールの空き缶や焼酎の瓶が空になって置かれているのを避けながら、手招きされるままに男の横に腰を下ろした。

「ニール、これは一体……」

「氷を持ってきた」

「お、サンキュ」

グラハムの持ってきた氷と、物色した末に見つけたらしいチーズが机に置かれると、ニールが新しい水割りを作り、ビリーに差し出す。
そうされれば受け取らないわけにもいかない。
一体これは何なんだという言葉を飲み込んで、黙ったままグラスを手に取った。

「ってわけで。改めて乾杯といこうじゃないの」

「何に乾杯する?」

「そうだなぁ・・・俺とエーカーさんの出会いにしとくか」

「それはいい考えだ、ははは」

グラスの当たる音と愉快そうなグラハムの声が、リビングに響く。
それを聞きながら、ビリーは手の中のグラスを無意識に口元へと当てた。

(何故ここにこの二人が揃ってるんだ……)

混乱した頭で考える。
自分の家で、同僚と嘘つきな恋人が勝手に酒盛りをしている。
まるで自分など視界に入っていないかのように、実の楽しそうに話をしている。

(なんなんだ一体……)

ズキズキとこめかみが痛んだ。

「ビリー、つまみは?酒飲むんだったら、何か腹に入れないと」

ずいと差し出されたのはチョコレート菓子。

「嫌いじゃないだろ?」

ぱちりとウインクして、ニールが皿に盛られたそれを押し付けてくる。

嫌いではない、むしろ好きだ。
そしてそのことをニールは知っている。

何も言わずに受け取ると、包み紙を開いて口に入れた。
口の中にじんわりと甘さが広がり、それによって思考の方もだいぶ纏まりがついてきた。
菓子を飲み込むと、改めて目の前の男に視線を向ける。

「グラハム、何で君がここにいるんだ」

胡乱な瞳で見やれば、金髪の同僚はこともなげに答える。

「ああ、実は例の開発機が……」

「わーっわーっわーーっっ!!!」

慌てて遮った。

(くそ、これじゃあ何も聞けない)

ニールの手前、自分の本職に関係する話を持ち出されては困る。

「何だ、素っ頓狂な声を上げて。気味が悪いぞ」

「いや、すまない。分かった、例のアレだな、うん、全て分かったから、もう何も言わなくてもいいよ」

ひくつくこめかみを隠しながら、何とか笑顔でそう言い募る。
目の前の男は軍人としては非常に有能な男だが、人の機微であるとかその場の雰囲気であるとかを解するタイプではない。
余計な事は言わないよう、あらかじめ釘を刺さなければ、何を言われるか分かったものではなかった。

「で、ニールは?どうしてここにいるんだい」

どちらかというと、そちらの方が気になる。
何せ前回ここを訪れたのは、ほんの数日前なのだから。

その前は4ヶ月近く空いたし、更にその前は2ヶ月。
彼がここにやってくる頻度は恐ろしく低い。
今回のように1週間と置かずに訪れるケースは初めてで、一体何があったのかと眉を寄せた。

ニールはきょとんとした顔でこちらを見ていたけれど、ふいに口の端を上げる。

「うーん……ちょっと、な。しばらくこっちに来れなくなりそうでさ。最後にビリーの顔、見ておこうと思ってよ」

「しばらく来れないって……」

それをわざわざ口にするのが不思議だった。
いつだって何ヶ月も音信不通で、ある日突然やってくるのが常だというのに。

(これではまるで……)

湧き上がってきた言葉を、胸の奥に無理やり追いやる。

「仕事の関係かな?しばらくって、実際にはどれくらい?」

努めて平静なフリをしてそう聞けば、ニールははにかむように笑った。

「悪ぃ、今回は本当に分かんねぇんだ。もしかしたら年単位かも」

再びビリーが絶句する。

「ニール君はどこかに遊学でもするのかな?」

相変わらず上機嫌なグラハムが、酒を煽りながら口を開く。

「うん、まぁね。ちょっと色々あってさ。ビリーには散々世話になったから、礼を言いたくて」

「ほぉ、いまどき殊勝な青年じゃないか」

関心したように声を上げる。

ちょっと黙っててくれ、と思わず声を上げそうになった。
勿論、そんな事でこの友人の饒舌が止まることなどないと知っていたけれど。

「俺もさ、色々あって。まぁ、ここら辺で覚悟を決めないとって感じでさ」

「ふむ、確かに男には決断するべき時というものがあるな」

「だろ?エーカーさんは話が分かるな」

「はは、男子たるもの、己の道は己で決めるべきだ」

「だよな?いや〜話が合うな〜エーカーさんとは」

にこにこと、ニールは上機嫌で酒を煽る。

「ニール、ちょっと飲みすぎじゃないか?」

彼はそれほど酒に強くない。
正確に言えば、今手にしているブランデーの類が彼を一気に酩酊へと追いやるのだ。

ビリーは新しいグラスを作ろうとしていたニールの腕を掴んで止めさせる。

「いーんだって。今日はさ、とことん飲みたい気分なの。酔いたい気分なんだよ」

薄っすらと上気した頬のまま、ニールは新しいグラスを作り始める。

「ニール」

「いいじゃないか、飲ませてやれば」

「しかし、グラハム……」

「男には、飲みたい時というものがあるのさ。なぁ、ニール君」

新しいグラスを揺らしながら、ニールは笑顔を見せる。

「さっすが、エーカーさんは分かってるな」

ごくごくと、まるで水でも飲むかのように酒を流し込むニールを横目で見ながら、ビリーは眉を寄せた。

(一体何があったんだ……)

理知的で、自分を律することに非常に長けた男が、こんな風に無謀な飲み方をする事が信じられなかった。
いつだって、実年齢以上の落ち着きを見せて、決して醜態を晒すことがなかったというのに。




「眠ったのか?」

「ああ、彼はウイスキーの類に弱くてね。それに随分疲れてたみたいだ」

寝室から戻ると、ビリーは金髪の同僚の前に腰を下ろす。

苦手なウイスキーばかりを口にしていたニールは案の定酔い潰れ、今は自分のベッドで寝息を立てている。
情事の後でも決して寝顔を見せなかったのに、今になって緊張を解く彼の真意が分からなかった。

(もう会わないつもりなのかもしれないな)

これが最後だと、そう思っているからこその無防備さだと思うと、胸に苦いものが満ちる。

ビリーは、目の前に置かれたままのグラスに手を伸ばした。
氷はとっくに溶けてなくなっていたけれど、喉が渇いて仕方がなかった。

「ビリー、彼は一体何者だ?」

様子を伺っていたのか、ビリーがグラスを戻すと同時にそう問われる。
何か確信めいたものを持っている事は、言葉から滲み出る不審そうな響きからも明らかだった。

「…………」

グラハムが何を言いたいのかは分かっている。
仮にもユニオンのエースだ。
洞察力や判断力に優れた彼が、ニールを見て何も思わないはずがなかった。

けれど、彼の疑いを肯定するつもりはない。

「ニールはノンフィクション作家だよ。自分でもそう言ってただろう?軟派そうに見えるけれど、とてもしっかりしてるし、頭もすごくいいんだ。話していると楽しいよ。それは君も同じだろう?」

さりげなく論点を外した答えに、グラハムは何も言わなかった。

今のニールとの関係を壊したくない。
嘘で嘘を塗り固めた、どうしようもない関係だということは分かっている。
けれど、嘘ばかりの中でも、互いへの信頼や愛情が成り立つのだと、ビリーは初めて知った。

それを壊したくなくて、目をつぶる。
悪いことだとは思わない。
互いが今の関係に納得しているのだから、何も問題はないはずだ。

「それよりグラハム、今日はどうしてここに?」

一番の疑問を思い出した。
普段から行き来はあるが、今日は何の約束もしていない。

「ああ、例の新型についてなんだが、あれはもう少しどうにかならないのか?」

グラハムの用件は、どうやら最近導入された新型機についてらしかった。

「扱いにくいというか、動きが統一的すぎる」

「仕方ないよ、汎用型っていうのはそういうものだから。君のためのカスタム機は、もう少し待ってもらいたいな。僕も全力を尽くしたいし」

新型機への移行はスムーズだったが、目の前の男を乗せるだけの器量がないのが実態だった。
MSに乗る兵士の力を統一するために、予め誰が動かしても同じような動きになるよう計算して作られた機体だ。
グラハムにとっては、かえって扱いづらいだろう。

「君は左利きだしね。武器からカスタムする必要があるから、少し手間取ってるんだ。何かも他に希望が?」

「スピードだな。限界値が低すぎる。私は思考とスピードが一致しないと苛々するんだ」

一般兵には分からない感覚を、グラハムはいつも感じているようだった。
けれど、そんな鋭敏な感覚やパイロットとしての資質に優れていることは、必ずしも彼にとって幸せなこととは言えないだろう。
各地で小競り合いはあれど、今のユニオンは平和だ。
グラハムの力を解放できる場所など、そうそうあるわけもない。

「スピードは最優先課題にしてるよ。君の思考に合わせるのは難しいけれど、なるべく意向に沿えるよう、目下努力中だから」

「期待している」

そこで一旦話題は途切れ、互いに酒だけを呷る。
やがて部屋には夜の帳が降り、グラハムはそれ以上ニールについて詮索することもなく帰っていった。

ビリーは一人で酒を飲み続けながら、視線を窓の外へと向ける。
カーテンは開かれたままだったから、溢れるようなネオンの光がよく見えた。

(グラハムに見られたのはマズかったな)

ニールの手を見た時から、ビリーにはある確信があった。
彼の手は、間違いなくMSのパイロットのものだ。
しかも、かなり熟達した。

それをグラハムに見られたことは、あまり好ましいことではない。
勿論、それを周りに吹聴するような男ではないけれど、今後ニールと連絡を取り合う時には慎重にする必要があるだろう。

(もっとも、ニールが今回で終わりにするつもりなら、全ては杞憂ということになるけれど)

もしかしたら何年も、とニールは言った。
何年も何処へ行くつもりなのかは分からないが、その間は自分と会わないという口ぶりだった。
それが本当ならば、今回で最後というのは真実味のある予言だ。

(どんな変化があったんだろう。それとも、目的を達成したから僕から離れるつもりとか?)

ニールは、恐らく自分がMSの開発に携わっていることを知っているはずだ。

彼はユニオンのパイロットではない。
一度検索にかけてみたことはあったが、それらしい顔も名前も出てこなかったから間違いないだろう。
それならば、彼の正体は一体何なのかということになる。

(一番考えられるのは、ユニオンに敵対する側の人間、つまりスパイって線だけど)

けれど、ユニオンのMS開発者をスパイするのなら、もっと効率の良い方法がありそうなものだ。
自分のいない隙を狙って家捜しすることもなく、MSを話題に上らせることもなく、ただ限られた時間を共に過ごすだけ。
それでは、スパイの意味がないのではないか。

(じゃあ、一体何故僕と付き合ってるんだろう)

ニールの真意が分からなかった。




瞼の裏に光を感じて、ビリーはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界に、見慣れた自室の天井が見える。
投げ出された腕を無意識に動かすと、指先に冷たいシーツの感触だけが届いた。

(行っちゃったのかな)

酒の抜け切っていない気だるい身体を起こし、辺りを見回す。
昨日、確かに横で眠っていた翡翠色の瞳の男は、そこには居なかった。

「ニール……」

昨夜は結局、二人きりで話す機会がなかった。
ビリーは一人で明け方まで飲み続けていたのだが、とうとうニールが目を覚ますことはなかった。
諦めて自分もベッドに入ったが、その後出て行ってしまったのだろうか。

これで最後かもしれないという漠然とした不安は、心の奥深い場所をちくちくと突き刺した。
一体彼が本当は何者なのか、何が目的で自分と肌を合わせたのか、どうして急に去ることになったのか。
疑問は尽きず、ビリーは頭を抱える。

「このまま終わりなのか……?」

「何が終わりだって?」

突然の声にビリーは慌てて顔を上げる。
眼鏡に手を伸ばして確認すれば、寝室に作り付けられたシャワーブースから、ニールがバスローブを纏って出てくるところだった。

「まだいたのか……」

思わず零れ落ちた言葉に、ニールは眉を上げる。

「いたら駄目だった?」

「あ……いや、そうではなくて」

狼狽するビリーに、ニールは笑顔を向ける。

「シャワー借りたぜ。っていうか、昨日は悪かったな。勝手に沈んじまって」

「いや、君も疲れてたみたいだしね。気にしなくていいよ」

「エーカーさんは?何か言ってた?」

その言葉の意味をどう取っていいのか分からず、ビリーは一瞬口を噤む。

グラハムは釘を刺して以降、軍についてもMSについても口にすることはなかった。
けれど、もしニールがこちらの読み通りの人間であれば、グラハムがMSのパイロットだということも分かったはずだ。

(それとも、最初から分かっていたのかな?)

その可能性も高いと、ビリーは思う。

最初から全て知っている。
ニールはこちらの職業も環境も、そして友人のことまでも知っているのかもしれない。

ビリーが口を閉ざしたのを見ると、ニールは笑みを浮かべた。

「楽しい人だったな、エーカーさん。昔からの友人ってやつなんだろ?」

「ああ、そうだな。面白い男だと思うよ。付き合いも……そうだね、随分長い」

「そっか。挨拶できなくって残念だ。よろしく言っておいてくれよな」

ビリーは素直に頷いた。
例え何もかも知っていたとしても今更だ。

髪の先から落ちる水滴を拭い、ニールがベッドの端に腰掛ける。
その背中に、そっと手を伸ばした。

「どのくらいかかる?」

端的な言葉でも、意味は通じるだろう。

指先を背中に這わせると、ニールが笑いながら身体を捩る。

「くすぐったい……そうだな、うん、多分1年じゃ無理……だろうな」

無理、という言葉の真意は分からない。
けれど、遠くを見つめるようなニールの視線に、自分の不安が的中したのだと悟らざるを得なかった。

離れた指先で、今度は頬を辿った。
水気を含んだ肌は、しっとりと心地よかった。
何度か往復させると、ビリーはニールの肩を抱き寄せ、腕の中にその身体を閉じ込める。

首筋に貼り付いた水滴を拭った指先で頤を持ち上げると、唇に唇を重ねた。

「……ん…………」

薄く開いた唇の合間から舌を差し入れ、ニールの舌先を絡め取る。
吸い上げて、口内の甘味を感じた途端、身体の奥底から忘れていた熱い欲望が込み上げてくるのを感じた。

この肢体を押し倒し、身体の隅々まで蹂躙し、自分の刻印を刻みたい。
雄としての衝動が、背中から突き上げるように脳内まで浸透してくる。

今まで、こんな風に直接的で、荒々しい欲望を感じたことはなかった。
ニールのことは好きだったし、その身体に溺れている自覚はあったけれど、ここまで純粋に欲しいを思ったのは初めてだった。

渇望――そんな言葉が頭を過ぎる。
自分の獣性をまざまざと自覚して、ビリーは自嘲めいた笑みを浮かべた。

(そうか……こんなに…………)

彼がいなくなるかもしれない、二度と会えなくなるかもしれないと、会う度に感じていたはずだ。
けれど、それはどこか現実味のない出来事として受け止めていた気がする。

本当に失うことを意識してしまったら、自分がどんな感情に囚われるか。
それを薄々感じていたからこそ、正面からその感情に向き合わなかった。

けれど、実際の別れを眼前にすれば、自分の気持ちはこんなにも正直だ。

口付けは長かった。
ニールは強引で執拗な接吻に何度か逃げようとしたけれど、決して許さなかった。
腰を引き寄せ、差し入れた右手で後頭部を支えたまま、思う存分ニールの口中を味わった。

「ニール」

荒い息をつきながら、口の端から零れ落ちた唾液を拭っていたニールが、そっと視線を上げる。

「なに?」

「もう……二度と会わないつもりなんだろう?」

それは確信だった。
彼は二度と帰ってこない。
戯れにも自分と顔を合わせることはないだろう。

ニールは一瞬逡巡する様子を見せると、口元に笑みを浮かべる。
どこか苦しげな、何かを堪えるような微笑みだった。

「俺は俺の道を行くって、もう決めたから……な」

恐らく、その道にビリーという人間は存在しないのだろう。
覚悟を決めたニールは、後ろを振り返ることさえないに違いない。

忘れ去られてしまう。
自分という存在は、彼にとって過去の遺物となるのだ。

(それがこんなに苦しいなんて……ね)

ニールの決意は並大抵のものではない。
本当の目的が何なのか推し量る術さえないが、事情の分からない自分ですら理解できるほど、その表情からは悲壮な感情が透けて見えた。

「目標があるんだね」

「ああ、ある。必ず成し遂げなければならない目標が。何を置いても優先すべき目的が」

力強い宣言には、確かな決意が満ちていた。
苦しみも痛みも飲み込んで、それでも先へと進む。

本当の彼がどんな人物なのか知らないはずなのに、それはとてもニールらしいと感じた。
どんなに困難であろうとも、彼はきっとその目的を果たすだろう。

「ニール。僕は…………」

全てを打ち明け、自分の気持ちを素直に伝えたい。
そしてその身体に自分という楔を打ち込みたい。

けれど、それを今言うことは、ただの自己満足に過ぎないと分かっていた。
既に全てを決めてしまったニールの心に、いらぬ波風を立てる必要がどこにあるのだろう。

「ビリー……」

ニールの腕がそっと首元へ回される。
熱い身体が押し付けられる感触に、ビリーは目を閉じた。
そうだ、何も言う必要などない。

「好きだったよ、ニール。それだけだ……」

ニールに自分の気持ちを背負わせれば、きっと自分は深く後悔するに違いない。
それならば、ここで終わりだと宣言してやる方がいい。
自分が傷つくだけの方がずっとマシだ。

ニールの身体を強くかき抱きながら、これが最後なのだと改めて感じた。
翡翠色の瞳を、こんなに間近に見ることもない。
滑らかな頬に口付けを落とすこともない。

そして。

彼の正体を知ることも……二度とない。




ニールはここを去り、自分は彼を見送る。
それでいい。
自分にできることは、もうそれしかないのだから。

(それでも……それでも聞きたいと言ったら、ニールは答えてくれるだろうか)

今更彼の決意を翻すことなどできはしない。
自分は、彼にとって過去の一部にしかなり得ない。
けれど、どうしても聞きたかった。

「ニール、一つだけでいいんだ。僕の質問に答えてくれるかい?」

抱き込んだ身体をベッドの上にそっと横たわらせると、ニールの瞳を見つめる。

翡翠のように美しい、宝石のような輝きを放つ瞳。
その中に、身体ごと沈み込みそうな感覚に陥る。

「……いいぜ」

「ニールは……どうして僕と関係を持ったの?」

敢えてストレートな言葉を選ぶ。
今までのように、遠まわしに言う必要はない。
嘘をつく必要はもうないのだから。

その言葉は、ニールにとって予想範囲外の質問だったのだろうか。
少しだけ驚きの表情を浮かべた後、苦笑とも呼べる笑みを口元に浮かべている。

もしかしたら、素性とか本職とか……そういったことを聞かれると思っていたのかもしれない。
勿論、それにも興味はある。
彼の名前が本名かどうかさえ、自分は知らないのだ。

しかし、彼を失うことが決定的になった今、それを聞いたところでどうなるというのだろう。
ニールの名前も、職業も、住所も何もかも、知ったとしても意味がない。
未来に繋がらない問答は、却って自分を追い詰めてしまうだろう。

知りたいことはただ一つだった。
何故、自分と関係を持ったのか。
それだけだ。

「俺は…………」

ニールの睫が伏せられる。

逡巡しているのかもしれない。
嘘だらけだった自分たちの関係を思い出して、今更何をと思っているのかもしれない。

けれど、ニールは再び顔を上げて正面からビリーを見据えると、いつものように笑った。
何かを振り切ったような屈託のない笑顔が、これから語る言葉が本心だと告げている。

「ビリーが好きだよ。嘘ばっかりの俺の中で、それが唯一の真実だ」

「ニール…………」

どう言葉を返していいのか分からなかった。
けれど、逸らされることのない視線に胸の辺りが熱くなる。

(嬉しいと……いうんだろうな)

この熱さこそが、自分の素直な気持ちを表しているような気がした。
ずっと深い部分で、彼を受け容れ、信頼し、そして愛していたのだと、改めて教えられた気分だった。

「ニール?」

「ん?」

「ありがとう」

それ以上、何も言えなかった。
引き止めることのできない自分には、それ以上の言葉は許されない。

ニールが優しく微笑む。
何もかも分かっていると言うように、白い指先がビリーの頬を包んだ。

決して女性的ではない、けれどとても繊細な指先。
その指にビリーは自身の手を絡めると、恭しく口付けた。

全ての想いを込めた口付けは、やがて腕の内側を通り、肩の先に到達する。
伺うように目を上げれば、微笑を浮かべたままのニールと視線があった。
そのまま、何かに引かれるように柔らかな唇にキスを落とす。

これが最後だと思うと、離れることができなくなった。
何度も何度も、ただ触れ合わせるだけの口付けを繰り返す。

「ビリー」

「何だい?」

「もっと」

してくれ、と小さく囁かれて、ビリーの中の熱が一気に温度を上げる。

「ニール……」

薄く開いた唇の合間からすかさず舌を差し込むと、それを待ち侘びていたかのように、ニールの舌が絡んできた。
一旦その感触を味わえば、他のことなど何も考えられなくなる。
自分の行き場のない感情も、すぐに訪れる別れも何もかもどうでもよくなって、ただひたすら、濡れた口内を舌先で探り続けた。

「ビリー……」

背中に回った腕に力が篭る。
その力強さが、ニールの気持ちを表しているのだと思うと、どうにかなってしまいそうだった。

泣きたいような、笑いたいような、そんな複雑な煩悶。
胸を突き刺すような痛み。
けれど、それら全てを凌駕してビリーの心を占めるのは、ただニールが愛おしいと思う気持ち。

しがみつくようにニールの身体を抱き寄せながら、ビリーはひたすら願っていた。
自分の全てを押し殺して、この先の虚無を恐れながらもひたすら。

(ニール、どうか……どうか君の目的が叶いますように……)




翌日、ニールはいつもの笑顔を残して去っていった。
別れの言葉はなく、こちらを振り返ることもなかった。
ビリーもまた、笑顔で彼を送り出した。

二度と交わらないはずの道で、未来に訪れる邂逅を、今の二人が知る術はない。





【あとがき】

2008年6月15日〜7月15日

ビリロク、とりあえずこれにて終了です!!

ということで、無理矢理3話続けたこの【オアソビ】は、これで終わりです。
いや〜・・・とうとう本番書かずじまいでしたね。
ビリロクという、空気読めてないCPの濡れ場を書く勇気は、飴屋にはありませんでした__(_ _;)
リクエストもなかったしネ・・・(あるわけない)。

ハムも、か〜なり無理に出した感じがありますよね。
でも、どうしても出したかったんです・・・!
ほら、一応「この先の邂逅」とか言って終わってますし。
きっと23話の後に、ハムが宇宙を漂うニールを見つけてですね・・・「ニール?!」とか言うわけですよ。
もう無茶苦茶ヽ( ´¬`)ノ

でも、本人はすごく楽しかったです。
受け兄貴♪
ごくごく一部ながらも、面白いと言ってくださる方もいましたし(本当に少数・・・)。
ここまでお付き合いいただいた方には、心からお礼を申し上げたいです。

つまらん話に付き合ってくださってありがとうございました・・・!(土下座)

続きを書く予定は全くもって全然ありませんが、ユニオン+ニールで何か書けたらいいな〜とは思っています。
ハムロク中心で☆(懲りてない)