早朝の駅に降り立って上を見れば、空は高く、澄み切っている。
吐き出した息がひんやりとした空気に溶けていくのを見て、アレルヤは小さく微笑んだ。
服の裾を直し、足早に改札口へと向かう。

駅前のロータリーを横切って住宅街を抜け、街路樹が立ち並ぶ公園通りを抜けると、目の前に瀟洒な外観のマンションが見えてきた。
洗練された雰囲気は、町の風景にしっくりと馴染んでいる。
見上げれば、30階以上はありそうだった。

「随分すごい所に住んでるんだなぁ」

ポツリと呟く。

何となく、彼はあまりそういうところに頓着しないのではないかと思っていた。
寝に帰るだけの場所に豪華さを求めるタイプではないし、自分の身を飾ることに関心がないように見えたのに。

(それとも・・・他の誰かと住んでる・・・なんて?)

とても単身者用とは思えないマンションを見上げながら、ふと考える。
彼なら相手には困らないだろうな・・・とそこまで思って、慌てて首を振った。

白皙の肌に明るい栗色の髪、理知を湛えた瞳は目の覚めるような翠色で。
誰が見ても文句のつけようがない美男子は、しかし決して浮気をするような人間ではない。

明るくて社交的な上に、あの相貌。
プレイボーイだと誤解されることもしばしばだが、決してそんなことはない。
彼は一人の相手を深く愛する男なのだ。
今は自分だけを見ていてくれている。

(僕が好きだって・・・僕だけだって・・・そう言ってくれた・・・)

真摯な愛の告白を思い出して、少しだけ赤面する。

彼をずっと見ていた自分にしてみれば、それは青天の霹靂というべきものだった。
まさか自分が彼から告白されるなんて考えたこともなかった。

明日をも知れない毎日を送っているのに、浮かれた気分でいるのは躊躇われたが、それでも彼を好きだという気持ちは否定しようもなく。
だから、彼から気持ちを打ち明けられた時は本当に嬉しくて。

(早く会いたいよ)

一秒でも早く彼の優しい眼差しを見たかった。
あの翡翠を見ていると、それだけで幸せな気分になれる。

空港から直結している電車で、最寄の駅まで1時間。
更にそこから歩いて5分ほど。
タイミングよく電車が来たせいで、約束していた時間より30分以上早く着いてしまった。

ちらりと腕時計を確認して、もう一度マンションを見上げる。

(まだ部屋かな?)

少し躊躇ったが、彼に会いたい気持ちが勝る。
止めていた足を出して、マンションのエントランスへ向かった。
高級車が並ぶ駐車場を横切り、エントランスの玄関を正面に捉える。

途端、アレルヤの足が止まった。

長身の男。
遠目からでも間違えるわけがない。
今自分が会いに行こうとしている相手、ロックオン・ストラトスだ。

ゆるくカーブのかかった髪を見て、今すぐ走り出したい衝動に駆られる。
しかし、彼が対峙している相手を見て、身体が硬直した。

背は高いが華奢な身体。
肩口で切り揃えられた髪が白い頬にかかっている。
端整な美貌は、まるで象牙細工のようで。

(・・・誰・・・・・・)

ロックオンの目の前にいたのは、美しい女性だった。
華やかな相貌だが、服装などは落ち着いていて、ロックオンと同年代なのだと思わせる。

二人はこちらに気付いた様子はない。
どちらも真剣な眼差しで、会話をしている。

何となく、そこに入り込めない雰囲気を感じて、アレルヤは慌てて後退した。
何とかエントランスから死角になる部分に移動して、胸を押さえる。
ドキドキと、そこは大きな音を立てていた。

そっと伺うと、まだ二人は話しているようだった。
隠れる必要などないと思う反面、どうしてもそこに入っていけないものを感じてしまう。

ふと、ロックオンの手が上がり、女性の頬に添えられた。
薄紅色の頬をした女性はそれを嫌がる様子もなく、触れられるがままになっている。

「え・・・・・・」

表情は鮮明に見えないが、ただならぬ雰囲気が流れているのは分かる。

じっと見つめていれば、女性の身体が、ごく自然にロックオンの胸の中に納まった。
そっと抱き寄せているロックオンは、微笑んでいるようにも見える。

(何、何なの・・・?)

自分が目にしている光景が信じられず、アレルヤは動揺した。

ドクドクと胸の内を叩く心臓の音だけが耳に届く。
いくら吸い込んでも息は苦しくなるばかりで。

(だって・・・でも・・・)

女性がロックオンを見上げている。
すると、ロックオンの指先が延びて女性の前髪を払って。
言葉を交わす二人の姿。

(やだ・・・!)

視線を逸らすと、足音を消しながら、それでも出来るだけ早くマンションから遠ざかった。
今見た光景を振り切るように、早足がやがて駆け足になる。
一刻も早くそこから逃れたくて、殆ど全力疾走で元来た道を駆け戻った。

胸が痛くて痛くて仕方なかった。
ロックオンの慈しむような仕草が堪らなかった。

二人は互いを想い合っているようにしか見えない。
ロックオンは好きでもない相手を抱きしめる事などしないのだから。

そう思った途端、ずしりと重いものがのしかかってきたように感じて、アレルヤは小さく呻いた。

「やだ・・・やだ・・・・・・」

どうしていいのか分からない。
彼ら二人は、一体どういう関係なのか。
考える事が恐ろしくて仕方ない。

「俺は好きになるのは一人でいい。たった一人を、深く深く愛したい」

ロックオンはそう言って自分に笑いかけた。
その一人がお前だと、そう言って口付けてくれた。

それなのに。

「どうして・・・ロックオン・・・・・・」

住宅街の途中で息を切らせながら足を止め、ただ呆然とそう呟いた。




駅前まで戻ったものの、そこからすぐに電車に乗る気持ちにはとてもなれず、近くの公園のベンチに腰を下ろした。
朝早くとあって、辺りに人影はない。

(どうしよう・・・)

つい走って逃げてしまったが、これからどうしたらいいのか分からずため息をつく。

少し前に見た光景を思い出せば、今すぐにでもどこかへ行ってしまいたくなる。
その反面、あれは何かの間違で、逃げる必要などないのではないかとも思う。

「どうしたらいいんだろう・・・」

抱き合う二人。
長身のロックオンの胸の中に、すっぽりと包まれた女性を思い出して、アレルヤはきつく胸の辺りを握り締めた。

あれが幻でないのなら、二人は一体どんな関係なのか。
自分と約束をしていたはずのロックオンが、その直前に彼女と会う必要がどうしてあったのか。

一人では絶対に答えの出ない問答に頭を悩ませていると、あっという間に時間は過ぎてしまった。
ふと気がつけば、ざわざわと人の気配がする。
どうやら出勤時間帯になったようで、駅に向かう人の波が引きも切らずに流れていた。

胸のポケットを探って端末を取り出す。
見れば、10件以上の着信履歴があった。
勿論、どれもロックオンのものだ。

約束の時間はとっくに過ぎていたから、きっと心配してのことに違いない。
しかし、そうと分かってもメールを返信することも、電話をかけることもできなかった。
胸に圧しかかった黒い靄が、どうしても邪魔をするのだ。

けれど、このままにしておくわけにもいかない。

(約束・・・してるんだし・・・)

アレルヤは決心すると、再びロックオンのマンションを目指した。
彼に会って何を話せばいいのか、戸惑いながら足を運ぶ。

彼女の事を尋ねるか、それとも知らぬ顔をすればいいか。
最初に何と口にする?
彼の前に出たときに、自分がどう振舞えばいいのかちっとも分からない。

そんな事をつらつらと考えていると、あっという間にマンションの前まで来てしまった。

(どうしよう・・・何て言えばいいの?)

困惑顔のままマンション前で立ち尽くしていると。

「アレルヤ」

その声に振り向けば、息を弾ませたロックオンの姿があった。
どうやら自分を探していたらしく、手には端末を握り締めていた。

「・・・ロックオン・・・」

「大丈夫か?時間になっても連絡がないから心配したぞ?」

見つかって良かった、と嬉しそうに微笑むロックオンに、アレルヤも曖昧な笑みを向ける。

「どうした?道、分からなかったか?電話すれば迎えに行ったのに」

「いえ・・・いえ・・・ちょっと・・・電車に乗り遅れたり・・・色々と・・・」

言葉を濁せば、ロックオンは疑いもせずにそうか、とだけ言った。
騙しているような後ろめたさがアレルヤを襲ったが、今更前言を撤回する勇気もない。

「家に入ろう。寒かったろ?」

アレルヤを促し、ロックオンはマンションのエントランスへと入っていった。

ロックオンの後に続いたアレルヤは、思わず身体を強張らせる。
ここが先ほど二人が抱き合っていた場所かと思うと、いたたまれなくて仕方がない。

気持ちを鎮めるように息を吐く。
しかし、他人に向けられたロックオンの笑顔がぐるぐると頭の中を回って、ちっとも落ち着かなかった。

「こっちだ」

ロックオンの呼びかけに、のろのろと後を追う。
エレベーターのボタンを押して待っている間、ロックオンの視線が自分に注がれているのを感じた。

「アレルヤ・・・何かあったのか?」

「何かって・・・何?」

咄嗟に取り繕う。
本当は女性の事が聞きたかったが、喉にひっかかったように、それを口にすることはできなかった。

「いや、何もなければそれでいいんだけど・・・」

アレルヤの態度に不信なものを感じたようだが、それ以上の追求はなかった。

やがてエレベーターが止まり、ロックオンが先に立って歩き出す。
アレルヤもそれに従った。

外観と同じく内側も凝っているらしい。
廊下に出ると、美しく装飾された床のタイルや柱が目に入った。

黙々とロックオンの後に続きながら、アレルヤは小さく嘆息する。

(どうしよう・・・聞いた方がいいんだよね、きっと・・・)

ロックオンに聞いてしまえばいいのだと、心の中では分かっている。
しかし、どうしても実際に口にするのは躊躇われた。
どんな答えが返ってくるのかと思うと、恐ろしくて仕方が無い。
だったら知らないフリをしてしまえ、と囁く自分もいる。

(でも・・・やっぱり見なかったことにはできない・・・)

脳裏にしっかり焼きついてしまった光景は、とても忘れることなど出来そうになかった。

「ここだ」

どうしようか、と逡巡していると、ロックオンの足が止まった。
一番奥の角部屋だ。
カードキーを差し込むと、かちゃりと音が鳴る。

「どうぞ」

ニコリと笑って、ロックオンが扉を開けた。

「お邪魔・・・します」

ぺこりと頭を下げて、玄関に足を踏み入れた。
途端、開けた空間に目を見張る。

「随分と広いんですね・・・」

思わず感嘆の声を上げる。
玄関も、それに続く廊下も、先にあるリビングも、どれも予想以上に広かった。
置かれた調度品は立派なものばかりで、とても趣味が良い。

「まぁ、別にもっと狭くても困らないんだけどな」

そう言ってはにかむように笑う。

「いつか、誰かと一緒に住めたらいいなと思って」

ロックオンの言葉に、つい身体が反応する。

誰かと・・・女性と住むのなら、この広さや豪華さにも納得がいく。
北欧調の家具は美しく配置されていて、いかにも妙齢の女性が好みそうな部屋だ。

曇った表情を隠すように、窓辺に寄った。
外を窺うと、青空と遠くに高いビルの群れが見えた。

「夜景も結構イケるんだぜ?楽しみにしててくれよ」

そう言って屈託なく笑うロックオンに、今更女性の事など切り出せそうになかった。




ロックオンの手料理を食べて、他愛ない事を喋った。
心の中の葛藤は表に出さず、相手に合わせて笑顔で頷くことはひどく疲れたが、疑問を口に出せないのなら仕方がない。
臆病な自分に辟易したが、生来人に反発というものをせずに生きてきた自分には、やはりロックオンを追及することなどできそうになかった。

残ったワインに口を付けて、窺うようにロックオンを見る。
翡翠色の瞳、白い肌、癖のある茶色の髪。
どれも自分にとっては愛おしく、かけがえのないものだ。

けれど、自分はどうなのだろう。
ロックオンはアレルヤ・ハプティズムという人間を、どう思っているのか。

好きだと言ったけれど、それは自分一人に向けられた言葉ではないのではないかという思いが、アレルヤの胸をひどく締め付ける。
彼を信じたいという気持ちと、それと相反する気持ちがずっとせめぎあっていた。

(僕は男だし・・・ロックオンに相応しい人間じゃないもの)

出自についてはもう知られてしまっている。
彼はそんな事は気にしないと言ってくれたけれど、だからと言ってそれを無視できるほど自分は甘くはない。

改造された人間、研究所のモルモット。
それはいくら理解を示されたとしても、変わることのない事実で。
本当なら、陽の光の下で暮らす事さえ赦されなかった自分は、ロックオンには相応しくない。

ちら、と視線を上げると、ワイングラスを傾けるロックオンが目に入った。
彼の側に居ていいのは、自分のような人間ではいけない。

(けれど、彼女なら・・・)

清楚な服を身に纏った彼女なら、きっとロックオンの隣が似合うだろう。

「どうした、アレルヤ」

「え?」

「いや、ぼーっとしてさ。会ったときからずっと・・・何か悩み事でもあるのか?」

ストレートに聞いてくるロックオンに、アレルヤは慌てて首を振った。

「いや・・・そういうわけじゃ・・・ないんだけど」

「どうしたんだよ、何かあるなら話してみろよ」

優しい言葉に、胸が痛くなった。
いつだってロックオンは優しいし、こうして自分を見ていてくれると思うと幸せな気持ちになる。
けれど。

(同じだけ、僕を不安にもさせる)

人を好きになるということは、楽しい事ばかりではない。
アレルヤは、その事実を今更ながらに感じていた。

うつむいたまま、じっと白いテーブルクロスを見ていると、右手に暖かいものを感じた。
見れば、ロックオンの大きな手がそっと添えられている。
視線を上げると、ロックオンの真摯な顔があった。

「俺はアレルヤの味方だから。何かあったら・・・何でも言って欲しい」

そのぬくもりも、思いやりに満ちた言葉も、とても自分を欺くものだとは思えなくて。
アレルヤは小さく肩を震わせた。

彼女を抱き寄せていた事は、自分の白昼夢だったのではないだろうかとさえ思える。
けれど、目を閉じればしっかりと二人が抱き合う場面が思い浮かんでしまって、それを無視することはどうしてもできなかった。

「ごめん、ロックオン。ちょっと最近疲れてて・・・」

笑顔を浮かべてそういえば、ロックオンは「何でも言ってくれよ」と再び右手を握り締めた。
それを握り返しながら、彼の愛情が自分だけに向けられたものでなくても、それでもいいと思い始めていた。

彼のぬくもりを失うことなど、自分には絶対に考えられないことなのだから。


食事を終え、シャワーを浴びると、一緒にベッドに入った。
ロックオンと身体を重ねるのは本当に久しぶりだ。

彼女の姿を無理やり意識から押しのけて、ロックオンの肩に縋りついてキスを強請る。
ロックオンは欲望の兆しを過たず理解して、アレルヤの唇を吸った。

何度も角度を変えて与えられる甘い口付けを、アレルヤはなりふり構わず堪能した。
今与えられるものが全てだと思えば、美しい彼女の姿は次第に不透明になっていく。

そのままなくなってしまえばいい。
自分に都合の悪い映像など、記憶からなくなってしまえば。

けれど、唇が離れた瞬間、ロックオンの熱が遠ざかっていくのと同時に、心の中には冷たいものが流れ込んできて。
不安で不安で仕方がなくなる。

ロックオンに捨てられる自分。
彼女の肩を抱いて、申し訳なさそうに別れを告げるロックオンの姿が思い浮かんでしまって、身体中に震えが走った。

(嫌だ・・・捨てないで、僕を捨てないで)

肩口に顔を埋めながら、心の中で叫ぶ。

彼に見離されたらどうしていいか分からない。
彼女の方がいいと言われたら、もう生きていけないのではないかとすら思える。

そこまで彼に依存しきっていることに、正直驚いていた。
何処まで自分はロックオンのことを好きになってしまっているのだろう。

苦しい胸の内を晒すことはできなかったけれど、身体はロックオンの前で素直に開いていった。
快楽に溺れることに慣れてしまった身体は、ロックオンの指先一つで勝手に熱を上げる。
浅ましいと思いながらも、彼に手を伸ばすことをやめられない。

くちゃくちゃと粘ついた水音が下肢から聞こえてくる。
繊細な指先がアレルヤの熱を絞り上げ、粘液を溢れさせていた。

卑猥な音に感情が高ぶって、思わず声が上がる。
普段の自分にはない、鼻にかかったような浮ついた声。

媚や甘えを含んだその音に、自分の醜さを見たような気がして、アレルヤは自嘲気味に笑った。
どこまでも自分が愚かに見えた。




翌朝、殆ど眠れないままにアレルヤはベッドから一人起き上がった。

隣には瞼を閉じたままのロックオン。
薄く朝日を浴びた栗色の髪が、滑らかな頬を覆っている。

安らかな寝息は、彼の深い眠りを示していて、そのことに安堵する。
自分の隣で意識を手放してくれているという事実が、どうしようもなく嬉しかった。
けれど、同時に酷く苦しい気持ちにも襲われて。

(僕は貴方の隣に居てはいけない・・・)

自分のような人間が彼の隣に居てはいけないのだ。
そんな事、本当は最初から分かっていた。

けれどロックオンが好きでたまらなくて。
伸ばされた腕に、みっともなく縋りついてしまった。

どうしてロックオンの優しさに甘えてしまったのだろう。
彼と自分は違う。
同じガンダムマイスターだけれど、根本的な部分で相容れないと分かっていた。
なのに、彼の優しさに付け込んで、暖かい腕に抱かれてしまった。

そんなこと、赦されるはずもないのに。

自分は異分子。
本来なら、この世に存在することさえ赦されない・・・人ですらない生き物。

それが、何故ロックオンのように美しくて気高い男の側にいられるなどと夢見てしまったのか。
彼にはあの女性のような人が相応しい。

じっとロックオンの横顔を見ていると、知らず込み上げるものがあった。
けれど、感傷的に泣いている暇はない。

そっと足を抜いて立ち上がると、手早く服を身に付ける。
音を立てないように、なるべく気配を消しながら部屋を出ると、小さな紙片とペンを用意する。

(何て書こう・・・)

ロックオンが罪悪感に駆られない、傷つかない言葉。
自分を哀れんで追いかけて来たりしない、そんな一言。
けれど、どんなに考えてもそんな都合のいい言葉は浮かばなくて。

しばらく逡巡した後、さらさらとペンを走らせる。
結局自分に浮かぶのは、その程度の言葉だけだ。

ペンを重しにしてテーブルにメモを乗せると、そのまま部屋を出た。

振り返りたかったけれど、その気持ちを押し殺してエレベーターのボタンを押す。
ここまで来ても、メモを見た彼がすぐにでも追いかけてきてはくれないかと、心の何処かで淡い期待を抱いている自分が嫌で仕方なかった。

(ごめんなさい、ロックオン・・・)

女性とのことがなくても、もっと早くこうするべきだったのだ。
それを見て見ぬフリをした自分が情けなかった。
何の権利もないのに、そこまでして彼の情愛を求める自分は本当に愚かだ。

マンションのエントランスに出ると、白い床が朝日を浴びて眩しく光っていた。
ロックオンと女性が抱き合っていた場所。
ここで見た光景のせいで、傲慢な自分を見つめる羽目になってしまったが、それはきっと自分にとっては良いことだったのだろう。

(ロックオン・・・)

彼を忘れることなどできるのだろうか。
何も知らないフリをして、行動を共にできるのだろうか。

それでも、そうしなければならないのだということだけは分かっていた。
メモを見れば、ロックオンも自分を見限るだろう。

(それでいい・・・)

彼が優しい伴侶を得て、将来あの部屋で幸せに暮らしてくれれば。

それでいい、と。

どうやって駅に行き、電車に乗り、空港までたどり着いたのだろう。
チケットを買って、飛行機に乗って。
寒い大地に降り立った時でさえ、自分がどうしてそこにいるのか、どうやってそこまで来たのか全く覚えていなかった。

電源を落としたままの携帯端末。
ロックオンはここに連絡を入れただろうか。
隣にいない自分を、探しただろうか。

(ううん、でもあのメモを見れば・・・)

ごく短く書かれたあのメモを見れば、ロックオンも顔を顰めて自分のことなど嫌いになるに違いない。
それとも。
あれは自分の意思ではないと、もしかしたらそう思ってくれるだろうか。

(女々しいなぁ・・・)

自分があまりにも未練がましくロックオンを思っていることに、さすがに呆れてしまう。
けれど、やっぱり嫌われる、と思えばそれはとてつもない恐怖で。

ふるふると首を振った。
そんな事、今更考えても仕方がない。

冷たく重たい雪がひっきりなしに降っている。
自分が育った所は、寒かったけれど雪は殆ど降らなかった。
乾燥していて、雨季にならないと一粒の雨も見られない場所だった。

けれどここは違う。
1年中気温は低くて、冬は必ず雪が降る。
彼の・・・ロックオンの生まれた場所。

軽装で、カードや現金以外の荷物は全くなかったために、移動は身軽だった。
空港からタクシーを拾って、自分が唯一知っているホテルの名前を告げる。

ロックオンへの気持ちを振り切って部屋を出たはずだったのに、この地にいる自分。
ここに来てしまった事を少しだけ後悔しつつ、けれど彼への想いに区切りを付けるのにはうってつけの場所だと思い直す。

ホテルに到着すると、すぐに部屋を取った。
最上階のスイートルーム。

(勿体無いけど・・・)

けれど、どうしてももう一度そこに行きたかった。
きっと悲しい気持ちになるのは分かっていたのだけれど。

案内を断って、一人最上階まで上る。
ワンフロアに一つだけの、贅沢なつくりの部屋。

こぼれるため息を無理やり飲み込んで、部屋の中へと足を踏み入れた。




広い部屋の向こう。
カーテンの奥に闇が見える。
星の瞬きだけの、限りなく真っ黒な闇。
そこには人工的な光は一切なかった。

ホテルは都心から僅かに外れた場所にあったけれど、それでも昔はもう少し活気があったらしい。
けれど、テロが頻発するようになって、街自体が徐々に寂れていった。
一度人々から顔を背けられた街は、人口を回復することもなく彩りを失っていったという。
人のいない場所が明るく照らされるわけもなく、街は暗い闇に包まれるようになった。

「まぁ時流ってやつだよ、仕方ないさ」

明るい調子でそう言ったロックオンの顔を、アレルヤは切なく思い浮かべた。
自分の生まれ故郷が荒廃していく様を、彼はどんな思いで見ていたのだろう。

光源を落とした部屋でじっと暗がりを見つめていると、次から次へとロックオンの言葉が甦る。

「この街がどうこうっていうんじゃなくてさ。それでも俺はテロなんかない世界が欲しい。だから俺は戦うんだ」

あの横顔には、悲壮なまでの決意が滲んでいた。
全てを射抜くような瞳は、尊くて美しくて、息が止まりそうになった。

ロックオンが好きなんだと自覚したのは、きっとその時だ。
真っ直ぐで、優しくて、強い。
その内側に悲しみや苦しみを抱えていても、ロックオンはいつも笑っていて。

気が付けば、彼が好きで好きでどうしようもなくなっていた。
うしてこんなに人を好きになれるのかと、自分でも不思議に思えるほどに。

けれど、想いを告げる気はなかった。
ロックオンにとっての自分は、あくまで目的を完遂する為の同士でしかない。
どんなに好きになっても、自分の想いが叶うことはないと最初から諦めていた。

けれど。

「嬉しかったな……」

今自分がいるこの場所。
ミッション前の休暇中、初めて二人きりで泊まったのがこの部屋だった。
何故スイートなのだろうと首を傾げると、翡翠の瞳が自分を捉えて。

「アレルヤ、好きだ。お前が……好きだ」

二人きりの部屋で、そう言ってくれたのだ。

現実とは思えなくて呆然としていた自分を、ロックオンはそっと抱き締めてくれた。
そんな彼の温もりを、今でも身体は覚えている。
いつも冷静沈着で、誰よりも大人の余裕を見せていた彼の頬が紅潮していたことも、抱き合った胸の鼓動が酷く早かったことも、はっきり記憶している。

そっと触れ合った唇の仄かな甘さや、絡めた指先の冷たさ。
ぎこちなく、けれど必死に求め合った、初めての夜。
あんなに幸せな時間はなかった。

「ロックオン……」

彼に求められることが奇跡のようで、知らず涙が溢れた。

「悪い、痛いか?」

自分を気遣う優しい彼に、ただ嬉しくて泣いているのだと告げると、困ったように笑みを浮かべてキスをしてくれた。
ただ自分だけを見つめて、何度も愛してると囁いてくれたのだ。

(もう過去のことなんだね……)

窓に映った自分の微笑みが、あまりにも無様で息が詰まった。

もっと上手く笑えるように練習しなくてはいけない。
ロックオンの前に出ても、この醜い素顔が晒されないように。
彼がいつか生涯の伴侶を得た時に、心からの祝福を送れるように。

「ロックオン…………」

けれど今は。

「つらい……寂しい……苦しいよ……」

真っ暗な中でアレルヤはひたすら声を押し殺して泣いた。
全てを振り切って、また戦場に戻る為。
マイスターとして、再び彼と会う為に。
嗚咽はいつまでも部屋に細く響いていた。

人という生き物は、どれだけ泣いていられるのだろう。
ずっとずっと泣いていたら、涙はいつか枯れるかもしれない。
けれど、実際に涙を流すことは忘れても、きっと心の中で泣くことは忘れられないはずだ。
それが何年後であっても、ある瞬間にその時の気持ちを思い出して、胸が締め付けられるような思いを味わうに違いない。

宵の闇に、少しずつ朝の気配が差し込み始めていた。
空が薄っすらと白い靄で包まれ、窓越しに清冽な空気を感じる。

ずっと同じ姿勢のままでいたせいか、身体が軋むように痛かった。
泣き過ぎた顔もきっと酷いことになっているだろう。
ぼんやりと顔全体が膨らんでいるような感じがする。

柔らかな革張りのソファから、身を剥がすようにして起き上がる。
眠気は全くなかったけれど、腫れた瞼が重くて仕方がない。

美しい模様を描くウィルトン織りのカーペットを踏みしめ、シャワー室へと向かう。
のろのろと服を脱いでいると、大きな鏡に自分の姿が映っているのが見えた。

(酷い顔……)

やつれた顔は病的なまでに青白い。
生気のない目は、けれど自分を哀れむように潤んでいた。

「みっともない」

縋りつくような眼差しが、自分でも鬱陶しいと思う。
こんな顔、絶対にロックオンには見せられない。

ジャグジーなどが贅沢に配置された風呂場には見向きもせず、狭いシャワーブースに入って湯を出した。
しばらく湯に当たっていたけれど、何か物足りない気がして、コックをめいいっぱい捻る。
途端、熱かったお湯が冷水へと変わった。
身を切るように冷たかったけれど、腫れた顔には心地いい。

目を閉じて、髪をかき上げる。
両目が露になったけれど、もう一人の自分は心の奥底でじっとしていた。
こちらの懊悩など知るかとばかりに、彼はずっと口を噤んだままだ。

けれど、それが彼なりの優しさなのだということは分かっていた。
好きなだけ悩めばいいと言ってくれているのだろう。

バスタオルで髪を拭き、備え付けられていたバスローブを羽織る。
居間に戻ると、ずっと電源を落としたままの携帯端末が見えた。
机の上に無造作に置かれているそれを、恐々手に取る。

(どうしよう)

いつまでも音信不通のままでいるわけにいかない。
けれど、もし着信やメールにロックオンの名前があったら、どうすればいいのだろう。

まだ全てを吹っ切れていない。
覚悟は決めたけれど、自信がない。

「でももし何かあったら……」

休暇中とはいえ、いつスメラギから連絡があってもおかしくない。
アレルヤはしばらく逡巡してから、そっと電源のボタンを押した。
途端、着信ありの表示が点滅する。




(ロックオン……?)

震える指で履歴を押す。

「あ……」

てっきりロックオンからのものだと思った履歴は、ティエリアの名前を映し出していた。

「……はは、……僕って馬鹿だな……」

彼からのものだと確信していた事があまりにも滑稽で、苦笑いが浮かぶ。

ロックオンは怒っているはずだ。
何も言わず、ただ別れの言葉を残して立ち去った自分に、憤りを覚えているに違いない。
それも自業自得だと分かっていたから、唇から漏れたため息は飲み込むべきだった。

(ミッションについてかな)

普段、ティエリアから連絡が入ることは滅多にない。
よほど急ぎなのか、ミッションに変更でもあったのか。

履歴に合わせて通話ボタンを押すと、すぐにティエリアに繋がった。

「アレルヤ、今どこにいる」

アレルヤが発信者だということは表示されているはずで、すぐに冷たい声で問われる。

「ごめん……ちょっと……」

言葉を濁すと、通話先で苛立ったような小さなため息が聞こえた。
思わず首を竦め、唇をかみ締める。

「ミッションが変更になった」

ティエリアの声に、やはりとアレルヤは頷く。

「ロックオンとは俺が組む。アレルヤはトレミーへ帰還するように」

「え……?」

思わず声を上げていた。
まさかミッションを外されるとは思っていなかったのだ。

「どうして……」

その呟きだけで察したのだろう、ティエリアは不機嫌な調子で続ける。

「どうしても何もないだろう。一体何があった」

「何って……」

「緊急通信だから何かと思えば、人員交代の要請だと?何もないわけがないだろう」

アレルヤが部屋を出た後、ロックオンが交代要請を出していたことを知って、端末を握る手に力がこもった。

やはり、ロックオンは自分と顔を合わせることを拒んだのだ。
当然のことだと分かっているのに、苦いものが胸の裡を満たしていく。

「その……ちょっとした行き違いがあって……」

他にどんな対応をしていいのか分からず、苦しい言い訳を口にするしかなかった。

アレルヤの沈黙に何を思ったのか、ティエリアが小さく息を吐く。

「まぁいい。とにかくミッションは変更だ」

それだけ言うと、あっけなく通話は途絶えた。
手の中で沈黙した端末を、どこかぼんやりとした面持ちで見つめる。

(マイスターとしても、もう……)

終わり、という言葉が頭をよぎった。

いや、恐らくロックオンは自分の責務に、そしてアレルヤの覚悟に私情を挟むことはないだろう。
彼も自分も、目指しているものは同じだ。

けれど、ロックオンの中での自分の立ち位置が今までと同じわけがない。
ロックオンは今後、ミッションパートナーとしての自分に、全幅の信頼を与えてはくれなくなるだろう。

それまでの素振りから一転しての、身勝手な行動と突然の別れ。
誰だって、「じゃあ今までの事は何だったんだ」と思うはずだ。
疑いは、そのまま自分の信頼の失墜を意味する。

握り締めた端末が床に滑り落ちると、そのまま膝を折って蹲る。
彼の信頼を失ったことが、こんなにも苦しい。
愛を失うことも耐え難い苦痛だったが、これはそれ以上の痛みだ。

「もう……駄目だよ……ロックオン、僕は……駄目だ。ハレルヤ、助けて……」

助けを求める相手は、もはや翡翠の瞳の優しい男ではない。
苦痛にのた打ち回りながら、アレルヤはひたすらハレルヤの名前を呼んだ。
一瞬でも早く、自分を失いたいと思いながら。


どれくらい呆然と横たわっていたのだろう。
気づけば、辺りは暗かった。
ごしごしと目元を擦ってはみるものの、視界はぼんやりとしたままだ。

「もう……夜?」

ティエリアと会話を交わしたのが朝だったことを考えると、随分長い間そうしていたのは間違いない。
明かりをつけて、変更されたミッションプランに従わなくてはと思うのに、何故か身体はぴくりとも動かなかった。
ぜんまいの切れたおもちゃのように、ただそこに転がっているだけ。

(寒い……)

膝を抱えるようにして丸まった。

もう少し。
もう少ししたら起きればいい。
少しだけ休んで、心を落ち着けてからトレミーに帰ろう……そう思いながら、アレルヤは目を閉じた。

朝よりずっと心が凪いでいた。
まるで、何かに守られているかのように。

(ロックオン……)

真っ黒な真綿の中に、アレルヤの意識はゆっくりと沈んでいった。




「ロックオン」

厳しい声で呼び止められて振り返ると、案の定酷く険しい表情をしたティエリアがこちらを見据えていた。

「おう、何だ、どした」

いつものように軽い調子で返すと、嫌そうに顔を歪める。

「どうした、じゃないでしょう。一体どうなってるんですか」

何が?と惚けたように言えば、大きく嘆息したティエリアが探るような視線を向けてきた。
ルビーのような紅い瞳は、何もかもを見通すようにまっすぐに見つめてくるが、自分だって伊達にマイスター最年長を名乗っているわけではない。
それくらいで、内面を見透かされるほど弱っているつもりはなかった。

「分かってるって」

殊更明るく答えると、それ以上の詮索は無用とばかりにティエリアに背を向ける。
これは自分の問題だ。
いや、正確に言えば、自分と彼との・・・二人の問題だ。

背中に張り付いていた視線は、やがてため息と共に逸らされた。
詮索しても無駄だと思ったのか、他の解決策を模索するつもりか。

アレルヤが消息を絶って、既に2週間が経過していた。
最後に連絡を取ったのはティエリアで、その時はすんなりとミッション変更を了解したという話だった。

(どこ行っちまったんだ)

もとより生真面目な性格の彼が、何の音沙汰もなしに消息を絶つということは有り得ない。

(唯一考えられるとしたら、俺とのことだろうけど・・・)

それにしたって私事を任務に持ち込むような性格ではないから、2週間も連絡がないというのはやはりおかしいだろう。

消息を絶つ前のアレルヤを思い出す。
地上で休暇を過ごそうと提案した時は喜んでいた。
美味しいものを食べて、自分の家でゆっくり過ごそうと言ったら、とても嬉しそうに笑っていた。

けれど、実際に地上でアレルヤを迎えたとき、何故か酷く憔悴した様子だった。
こちらが話しかけてもぼんやりしていることが多かったし、ベッドに誘った時も躊躇っていた。

(・・・で、あれだ)

翌朝目を開けると、もうそこにアレルヤの姿はなかった。
代わりにあったのは、机の上に小さな紙切れが1枚。

――It is already the end.

アレルヤらしい几帳面な文字で一言、そう綴られていた。
これ以上分かりやすい文章はないだろう。

――これで、終わりです。

何が終わりなのかと聞き返すほど、鈍くはないつもりだ。

自分と、アレルヤの関係。
それを終わりにしようと言っているのは明白で、見た瞬間に頭が真っ白になった。
憔悴した様子や、セックスへの躊躇い。
それらが全てこの関係を憂いてのものならと、一瞬納得しそうにもなった。

けれど、それをすんなりと受け取るほど・・・そう、アレルヤのように自分は素直ではない。
この一言が本心か否かなど、冷静に考えればすぐに分かることだ。

あのアレルヤが、突然心変わりをするようなことがあるだろうか。
真摯で、不器用な愛情を一心に注ぐアレルヤが、果たして地上に降りるまでのほんの数日で自分を見限ったりするだろうか。

それはないような気がする。
自惚れではなく、彼ほど愛情深い人間が、一度懐に入れた人間をおいそれと嫌いになるとは思えない。

だとしたら、彼の行動は一体何なのだろう。
紙の上のその一言は何を表すのか。

試しているのかと思ったけれど、それも違うような気がしていた。
アレルヤはそんな風に人の愛情を試すタイプではない。

では、こうなったのは一体何故かということになる。

(俺、何かしたっけ?)

地上で最初に会った時には、既に様子がおかしかった。
ということは、トレミーで何かしてしまったのだろうか。

「分かんねぇな・・・」

アレルヤの愛情を疑うことはないが、どうしてその結果に至ったのかという経緯が全く分からない。
自分の行動の何がきっかけになったのか、どうしても理解できなかった。

しかし、あれほど思慮深いアレルヤが、ミッション直前にも関わらず姿を消したということは、それなりの覚悟があってのことなのだろう。
実際自分も随分混乱していたし、このままでは今後のミッション遂行に差し支える可能性があった。
結局、互いに考える時間が必要だと判断して、次のミッションの人員変更を申し出たのだが。

ロックオンは腕を組んで窓の外を眺めた。
何もない、暗闇だ。
いや、そこには星の瞬きがあるけれど、今の自分の目には何も映らない。

「直接聞くしかねぇよな、やっぱり」

こうなった以上、結局は本人に問い正すしかないのだ。
何がこの結果を生み出したのか、自らの目で確かめなければならない。

一つ大きく深呼吸をすると、ミーティングルームを出た。
スメラギに地上へ降りる許可を得るつもりだった。

2週間もの間、全く連絡のないアレルヤを探せるのは、恐らく自分だけだろう。
彼が何を考えて、どんな行動をするのか、自分が一番よく知っている。

「俺は認めねぇぞ、アレルヤ」

The end などとは言わせない。
会って、どうしてそうなったのかをきちんと聞いて、話し合う。
そうすればきっと何もかもが上手くいく。
小さな齟齬さえ正せば、自分たちはまた元通りの関係に戻れるはずだ。

(絶対に、諦めないからな)

どんなことをしても、きっと探し出してみせる。

翡翠の瞳が、漆黒の宇宙を映して深く輝きを増した。




ついこの間、とても楽しい気分で降り立ったはずの地上が、今日は酷く陰鬱なものに見える。
ガラス張りの外の景色が、灰色に染まっているせいもあるだろう。
どこまでも広がる曇天は、今にも泣き出しそうに低く垂れ込めている。

ロックオンは足早に空港内を抜け、タクシーの先頭に乗り込んだ。

「ラディソンホテルまで」

一言告げると、すぐにタクシーは走り出した。
朝早い時間帯のせいか空港周辺の道路は渋滞もなく、順調に街中を抜けていく。

見慣れた景色。
通っていた学校周辺の道に差し掛かると、やはり多少の感慨はある。
けれど、今はそれに浸っている余裕もなかった。

ここに居るのではないかと思ったのは、ただの勘だ。
けれど、多少の確信がないでもなかった。

アレルヤには故郷がない。
人革連は彼にとっては忌むべき場所だ。
そうなると、彼が行きそうな場所は限られてくる。
ロックオンのマンションがある日本か、そうでなければ……。

日本にはいないだろうと思った。
主に政治的観点と宇宙へ帰還する際の利便性から、その場所に自分や刹那の住居は構えられていたけれど、アレルヤにとっては馴染まない異国の地でしかない。
自分を避けているのなら、なおさらそこに居る理由はないだろう。

(となると……)

ミッション以外では誰よりも行動範囲の狭いアレルヤは、以前滞在したことのある場所にいるに違いない。
勿論、それが確実にこの地であるかと問われれば、ロックオンにも分からない。
けれど、何故かひどく胸騒ぎがしたのだ。
アレルヤが、何かを清算するために行動しているような気がして仕方なかった。

(俺との関係……だよな、当然)

何かは分からない。
けれど、アレルヤは自分に対して思うことがあったのだ。
だからこそ、この関係を白紙に戻そうとしている。
その為に、今行動している。
それならば、この関係が始まった場所、自分の故郷であるこの地にいる可能性は高いのではないだろうか。

狭い車内で、ロックオンは心の中に溜まった澱を逃がすように、静かに息を吐いた。
焦っても仕方ないが、こうして離れていると余計なことばかりを考えてしまう。
彼が自分自身を追い詰めているのではないかと、気が気ではないのだ。

こんなことなら、あの時すぐに追いかければ良かった。
アレルヤがどんな気持ちで手紙を書いたのか未だに理解できないが、あの文面からは悲壮なまでの決意が漂っていた。
それをもっと深刻に受け止めなければならなかったのに、トレミーに帰ればきっと会えるからと、後回しにしてしまった。

甘えていたのかもしれない。
アレルヤなら大丈夫だと、事情を話せば全て解決するはずだと、そんな風に思い込んでしまった。
誰よりも繊細で、優しい彼を一人きりにしてはいけなかったのに。

(くそ、自分で自分を殴りたい気分だぜ)

きつい視線を窓の外に向けると、灰色に濁った空を見つめた。
途端、ぽつぽつと窓に雨粒が当たり始める。
それはすぐに大きな水滴となって、窓を濡らした。

「もう待ってられねぇ……」

次第に強くなる雨足の中、ロックオンは小さく呟く。

彼の心が落ち着くまでなどと、悠長なことは言っていられない。
その間にも、確実にアレルヤの心は自分の知らない場所へと遠ざかっている。
これ以上、彼の手を離していてはいけない。

ロックオンは強く唇を噛み締め、ただ一人の想い人を腕に抱き締めるために、自分に一体何ができるのかを考え始めていた。


続きます・・・