普段温厚な笑みを崩さない男が、感情のままに激昂する。
鋭い視線が自分を射抜き、低く抑えられた口調からは怒気があふれ出して。
自分を抑えることに長けた男だからこそ、己を曝け出したその姿は苛烈だった。
強い感情というのは、それだけで周りを巻き込み、感化させる力を持っている。
それが悪意であれ、善意であれ、だ。
彼の純粋な憎しみと悲しみは、周りの人間の迷いを断ち切り、新たな戦いへと赴く大きな力になっただろう。
明日からはまた、一つの目的に向かっての戦いが始まる。
全ての紛争を根絶する為の。
それはまた、自分の目的でもある。
強い風が服の裾を攫う。
それを引き寄せながら、ティエリアは夜の海を眺めていた。
夜空と海原は闇に包まれ、重力に引かれる身体を忘れれば、そこは宇宙と同じ光景が広がる。
地上は嫌いだが、夜の海はいい。
規則的に聞こえる波の音は、無音の宇宙にはない穏やかさがある。
「ティエリア」
突然、抑えた声が窺うように自分の名前を呼んだ。
振り向けば、長身の男がじっとこちらを見つめていて。
「ロックオン・・・」
ロックオンはゆっくりと砂浜に下りてくる。
その表情にいつもの笑顔はなく、常に身に纏っている陽気な雰囲気も今は鳴りを潜めていた。
「こんな所にいたのか」
どうやら随分と長い間自分を探していたらしい。
その息は少しだけ弾んでいる。
「何か用ですか」
そう問えば、緑柱石のような明度の高い瞳が自分を捉える。
そして。
「すまなかった」
深く腰を折る。
「何を謝っているんですか?」
「さっき・・・険悪なムードになっちまっただろ。俺のせいで」
「・・・貴方のせいじゃないと思いますけど」
本心だ。
彼は素直な思いを口に出しただけ。
それが自分とは異なる意見だからと言って、悪だなどと言うつもりはない。
「いや、やっぱり俺のせいだよ。今は大切な時だってのに、浅慮だった。すまない」
そう言って、今一度と腰を折った。
恐らく、他のマイスターたちにもそうやって頭を下げてきたのだろう。
激しく自分に詰め寄ってきた時と、とても同一人物とは思えないその姿に、ティエリアは視線を落とした。
彼はいつでもこうやって周りを優先する。
自分の感情を抑えてまでも。
まるで、それが己の務めだとでもいうように。
そんな彼の姿に、腹が立つ自分はおかしいのだろうか?
マイスター同士の関係を円滑にするよう配慮しながら、時には自分の意見を強く進言し、時には喉まで出かかった言葉を飲み込む。
自分に間違いがあると思えば、こうやって頭を下げるのも躊躇わない。
それは、マイスター達の中でリーダーであることを自負する彼にとって、至極当然のことなのに。
何故、目の前で頭を下げるロックオンを見て、自分はこんなにもイライラしているのだろう。
「いいえ、貴方は自分の思いを素直に言葉にしただけ。何も気に病むことなどないでしょう」
胸を刺す嫌な痛みを抑えて、そう口にしてやる。
これ以上、会話を長引かせるつもりはなかった。
「そう言ってもらえると有り難いな」
ロックオンはそこでやっと笑顔を見せた。
常にない鎮痛な面持ちだった表情に、少しだけ明るさが戻る。
ティエリアは視線を逸らし、再び海へと目を向けた。
これで終わりだと態度で示したつもりだった。
しかし。
「・・・やっぱりまだ怒ってる?」
そう言って、一歩踏み込んだロックオンに顔を覗き込まれた。
「怒ってなんか」
近付かれた分だけ後ずさりながら答える。
「いや、怒ってる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ティエリア、俺のこと嫌い?」
ストレートな物言いに思わず目を見張れば、二つの翡翠がじっと自分を見据えていた。
「俺のこと、見てて苛々する?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「見てれば分かるさ。偽善者とか思われてるんだろうな〜って」
まぁ、当たってるかもな、と言って笑う。
その笑顔は自分を卑下するものでも、自嘲的なものでもない。
自らを知って尚、それを笑うことのできる余裕であり。
ロックオンが何故そんな事を言い出すのか分からなかった。
思わず、唇を噛み締める。
これ以上、ロックオンと話していたら、何か思わぬことを口走ってしまいそうだった。
「怒ってなんていませんよ。子供じゃあるまいし」
それだけ口にすると、これ以上の問答は不要とばかりに踵を返す。
先ほどまでの心地良さが嘘のような海辺から、一刻も早く立ち去りたかった。
「ティエリア」
強く呼ばれる。
低く響く声が自分の何かを掻き乱すようで、胸に不快感が広がる。
彼は一体、自分に何を求めているのだろうか。
・・・・・・許し?
自分が与えてやれるはずもないものを、彼は欲しているのか。
気付けば。
返したはずの踵を、再び返していた。
砂を巻き上げながら、ロックオンに歩み寄る。
その胸倉を掴み、自分よりずっと背の高い彼の唇に、自分の唇を重ね合わせた。
先ほどまで、その唇から滑らかに吐き出されていた言葉の数々。
自分を呼ぶ強い声。
こうやって塞いでしまえば、それ以上聞かずに済む。
自分を掻き乱されずに済む。
ほとんどぶつかるように押し付けた唇。
少しだけそれを離せば、ロックオンの瞳が自分を捉えて。
「ティエリア?」
「不快だ」
一言いえば。
それまで驚きだけに彩られていた顔に、何故か嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「何故笑うんですか」
「いや、嬉しくて」
「嬉しい?」
「そう、嬉しい。ティエリアの気持ちが少しだけ分かったような気がして、嬉しい」
言うなり、腰に腕が回り。
「キス、させて」
拒絶する間も与えず、そのままロックオンの唇が、再び自分の唇に重なった。
上から覆い被さるように抱きしめられる。
思わず目を見開けば、視界一杯にロックオンの秀麗な顔が映る。
斜めに重なる白い頬が、鼻先に当たった。
――熱い。
頬の温度は外気に晒されていても尚、熱くて。
その事に何故か安心する。
彼が。
ロックオンが、少なくとも見た目よりずっと冷静ではないのだと、その熱さこそが教えているようで。
上唇、下唇と交互に吸われ、思わず口を開けば、そこから舌が滑り込む。
口内を温かい舌が這い回り、時折自分の舌に絡みつけば、ゾクリとした感覚が腰から這い登ってきた。
その事に怯えを感じて腕に力を込めるが、拘束される力は少しも緩まない。
それどころか、益々強く抱き寄せられて。
何度も何度も角度を変えて、ロックオンに口付けられる。
酸素を求めて顔を逸らせば、すぐに追いつかれる。
大きな掌が頬を包み、そのまま引き寄せられればまたキスが待っていて。
嫌だと首を振っても、ロックオンはそれを聞き入れるつもりはないようだった。
「もっと教えてくれ、ティエリア。お前という人間を」
キスの合間にそう囁かれ、身体が震える。
何故震えるのか分からないまま、ロックオンの瞳を見上げた。
一瞬も逸らされることのない真っ直ぐな瞳。
それは間違いなく、自分だけに注がれたもの。
「ん・・・っ!」
もう一度と強く舌を絡め取られて。
やがて散々口内を蹂躙したロックオンが、ゆっくりと唇を離す。
「知りたいんだ、ティエリアの事」
その言葉に、ティエリアの身体がピクリと揺れた。
「もっと、知りたい」
だから。
「教えて」
大きな温もりに包まれながら、ティエリアは嵐のような感情の渦に翻弄されていた。
波の音が小さくなっていくのを、意識のどこかで感じながら。
【あとがき】
2007年12月15日
7話後すぐに書いた話だったんですが、推敲がなかなか終わらずに放置されてたものです。
随分前の話ですいません・・・!
何か・・・何が書きたいのか分からなくなっちゃったという感じです。
ティエリアの性格を考えると、自分からキスしにいくとか有り得ない!みたいな・・・。
それでも、ロク兄贔屓の飴屋は何とか<兄貴←ティエリア>の構図を作ろうと必死に抵抗(全く無意味)。
いちゃいちゃえろえろ〜な話を書くには、もう少し修行が必要みたいです・・・( ̄□ ̄;)